ん〜これはいかんなw


もう十分でしょう〜w

昨日は調子に乗って右手を使いすぎたからか、夕方辺りから肩から耳の辺りにかけて妙な違和感というか、痛みというか...
帰宅してから飲んだ痛み止めの効きも今ひとつで、まるで入院していた時に逆戻りしたかのような気分だった。
気分も悪くって、夜中も寝たような寝ないような、朝起きても首筋辺りがまだ重くって...
また今日も一日休みをもらった。
先日ようやく持ち帰ることが出来た自転車...
破損状態を眺めてみたが、事前に仲間から聞かされていたとおり外観的には特に問題無さそうだ。
もう少し身体が動くようになったら、特にヘッドとフォークコラム周りを入念に見てみようと思う。
ただ、以前からそろそろ交換しようと思っていたサドルは今回の事故で要交換部品のトップに急浮上した。
表面の革の痛みは当然だが、サドルをシートポストから外してみるとレールの中空バイプまでもがひん曲がっていたw
ここから地面に落ちたんだろう。
サイクルコンピュータは入院して6日後に病室まで届けてもらっていた。
正直言ってしまうと、あの時アスファルトの上で悶絶しながら僕はどうでもいいことを考えていた。
「時速何キロで吹っ飛んだんだろう...」
だから、あの状況の中で僕を気遣ってくれていた仲間に対して...
「僕のGarminは?」
などと口走ってしまったのだろう(笑)


手元に届いたGarminは無残にもガラスが割れていたけど、電源はちゃんと入ったし、あの時のログも吸い出せたので安心していたんだけど、今日、久しぶりに電源を入れてみたらGPS衛星を補則してくれなかった。
病室ではちゃんと受信できていたのに...
アイタタ(>_<)
となると今回の事故による損害は、入院費その他の経費を別にして、自転車関連だけでも、
ヘルメット(2)、サイクルコンピュータ(3.5)、ジャージ(上下)(2.5)、アームウォーマー(0.5)、レッグウォーマー(0.5)、インナー(0.5)、ベスト(1)、キャップ(0.5)、ソックス(0.2)
10諭吉は下らないな...orz


今日は退院して2度めの経過観察での通院。
そのついでに、ずっと居候させてもらっていた僕の愛機と諸々の装備を引取りに仲間のところへ...
あの日から今日で37日...
いつの間にか1ヶ月を超えてしまっていた。
僕より全然元気そうなので安心しました(^^;
何からなにまでありがとうございました。
乗れない間ににしっかり整備してあげなくっちゃ


パセリを植えても食べきれずに殆どを無駄に育ってしまう。
なので今年はイタリアンパセリの苗を植えてみた。
一株あれば十分だと思っていたけどサラダにタップリ使えるからもう一株ぐらい植えても良かったかな...
退院して20日が経った。
職場復帰して12日が経つけど、体調を見ながら午後過ぎてから早退することも何度かあった。
少しずつだけど右手が動かしやすくなるに連れて逆に右肩に負担がかかって背中までもが我慢できないほどに痛みだす。
かと言って何もせずに安静になんてしていられるわけもないし、そんなつもりもない。
別に焦っているわけでもないけど、いつまでもダラダラ過ごしているほど気持ちに余裕が持てないのも事実だ。
昼食後のコーヒーを飲み干して、いつものようにそのまま横にでもなってしまえば、確実に夕方まで寝入ってしまいそうな、そんな陽気だった。
少し外を歩くことにした。


普段の生活のかなでふと鏡に向かうと、右肩が下がって身体が歪んでしまっているのがよく分かる。
なので背筋と首を伸ばし、右肩が落ちないように意識して歩いた。
首にはカラーをはめたままだ...
左右の腕を30度以上曲げないように軽く振りながら2キロ程度歩いた辺りで右肩へ加わる振動で腕をダラリと下ろして居られなくなった。
腕のやり場に困ったので右腕を左腰に回してジーンズに通したベルトをしっかりと握りながら歩いた。
散歩程度の腕の降りもまだまだ大きな負担になるようだ。
それでも額に薄っすら汗をかく程度に6.5キロを1時間20分ほどかけて、...
耳に突っ込んだイヤーバッドから流れるAlan Parsons Projectに顔の脇を流れるヒンヤリとした風の音が重なって爽やかな散歩でした。
これ以上暑くなったらカラーを首に巻いた状態ではちと厳しいかな〜


LAS Victory …ストラップを固定しているあの硬質プラスチックが

スポーツサイクルを楽しむ上で絶対に欠かせない装備がヘルメットだ。
外的衝撃エネルギーを分散吸収して頭部を保護する!
そして見た目のトータルバランスだって重要。
ま、これはサイクリストだけの自己満足に過ぎないとも言えないがw
自転車を始めて7年が経ったが、振り返ってみると2年毎にヘルメットを新調していた。
2006:Selev matrix (赤系)
2008:LAS SQUALO (白)
2010:LAS Victory (赤系)
2012:LAS Victory Supreme (白)
いずれもイタリアのメーカーだ。
国産のヘルメットは軽い上に価格的にも求めやすいが僕の頭の形状にはマッチしなかった。
他のどのメーカーの製品も自分には微妙に合わなかったのでSQUALO以来ずっとLASのヘルメット使ってきた。
SelevはSQUALOを購入した際にオークションに出品したので手元には残っていない。
SQUALOは箱根の下りで落車した際に後頭部を軽く路面に打って若干変形させてしまった為にVictory(赤系)を購入した。
最初のVictoryは機能上の問題は無かったが、紫外線により色が劣化してしまったのでVictory Supreme(白)を購入した。
今ではSQUALOはほとんど使うことは無いけど、2つのVictoryはその日の気分やジャージのカラーに合わせて使い分けていた。
ただ、最初ののVictoryを初めて手にした時、SelevやSQUALOとは違うストラップの固定方法に不安を感じていた。
それまではヘルメットの外殻の上部に硬質プラスチックでストラップの端を固定していたが、Victoryではヘルメットの内側の目尻の上辺りに硬質プラスチックの構造物がむき出しになって固定される仕様になっているため、横からの衝撃が加わった時に硬質プラスチックが直接皮膚にあたって怪我をするんじゃないかな〜〜と...
今回の落車で、まさしくその不安が現実のものになってしまったわけだ。
10m飛んで頭部右側から路面に落下した時、ヘルメットが割れることで頭部への衝撃の殆どを吸収してくれたまでは良かったが、割れたことでストラップを固定している約22mm幅の硬質プラスチックに右目尻上の皮膚組織が刳られるような格好で35mm幅で持っていかれてしまった。


まるで雲に半分隠れたお日様のようだ(笑)

脳や頭蓋骨への障害が無かったのは幸いだし、ま〜この歳だし、多少の顔の傷は大して気にもならないけど、不安視していた事が実際に起ってしまったことには正直ショックを隠せないし、これから同じものを使おうって気にもなれやしない。
事故さえ起こさなければそんな不安を持つことも無いのだけれど、事故が起きた時の備えとなる装備なわけだしね。
で、次期主力ヘルメットは長年愛用してきたLASからLAZERへ...



今年も穏やかな朝の風にのって爽やかな香りが漂ってきた。
昨年は疎らにしか咲かなかった白い花は今年は盛大に咲き誇っている。
新緑から梅雨間近の僅かな期間、一年で最も爽やかなこの時期...
待ちに待った季節なのに、今年は自転車で新緑を楽しむことは出来ない。
完成したばかりの新しいジャージはビニール袋に入ったまま真夏を迎えるわけだ...アハハァハハハハ
自分だけが季節にとり残されたかのようなこの喪失感...www
来年の収穫の季節には丸ごとゼリーを沢山作ってこの憂さを晴らしてやろう!!!


こんなにキツく締め付けちゃうの!?(≧∇≦)

肩の傷はようやく抜糸するまでになったが、まだ肩甲骨の端から粉砕骨折した鎖骨へとワイヤーが差し込まれているので、
「右手は30度以上曲げないように!」、「もし中で折れたら再手術ですよ!」と担当医から脅かされているw
でも寝ている時とか、気がつくと右手が頭の上に来ていたりして...orz
腕は動かせなくても脚を動かすには全く支障はない。
逆に動かさないでいたら鈍ってしまうだろう。
というわけで、骨の回復促進と筋力保持のために”加圧トレーニング”を勧められた。
素人がいきなり始めるのも危険なので、先ずは経験者からの指導を仰ぐ。
これでローラーに乗ったらいかにも効きそうだけど...
そもそも僕の自転車は一体どこに行ってしまったんだ?(笑)


レストランのポイントカードにも見えなくもないw

でもできる事なら使わずに済ましたい...
緊急連絡カード
単独で走っている時にもしものことがあったら...その時のために。
あ、別にこれは僕が事故ったからってわけじゃないんだ。
2月の末頃、三島のmacoさんが僕らのために作ってくれたカードだ。
2月中旬、僕がインフルエンザにかかって家で暇を持て余しているその時、macoさんからメールを貰った。
「デザイン!...」
はて?????
そういえば、昨年末だったかな〜
一緒に三浦を走った時にボソッと言ってたっけ(^^;
ジャージ作りませんか〜?って...
すっかり忘れていたw
でも僕にはデザインが全く頭に浮かばない。
何のコンセプトも持ち合わせていなかったから。
そんな時、macoさんから....
「美味しい物食べる為に自転車で何処かへ行こう!標高2000mだってへっちゃらさ!w」
コンセプト名:Lunch
この日から「Lunch」プロジェクトが始まった。
ま〜そんな大袈裟なものじゃなかったし、デザインしたはいいけど精々5人も集まればいいとこかな〜なんて軽い乗りだった。
プロジェクト発足からわずか二週間でデザインがほぼ完成し、いつの間にか集まったメンバーは14人。
しかも男女比率は1対1ときたもんだ(^^;


このGW中は完成したばかりの新しいジャージを着て、何処かへみんなで美味しいもの食べに行くつもりだったのに...
全ての計画があの事故で水泡に帰してしまったw
皮肉なことにジャージの納品日が入院中でしかも手術当日とは...
そんな訳で、ようやくGW最終日になって辻堂のテラスモール湘南でジャージの受け渡し会。
自転車日和のこの日、走れない僕に付き合っていただきありがとうございました。
僕はいつになったら着れるんだろう...
ローラー台の上で着るかw
そういえば、SSRジャージも追加注文しないとな〜!



急な下りでは下ハンをしっかり握って2本の指をブレーキに軽く添えて走る。
ただ、今のコンポになってからは特にブレーキの効きが良くなった分コントロール性がシビアで、ちょっとした段差に乗っただけで自分の意に反してブレーキを引いてしまって怖い思いをしたことがこれまでに何度かあった。
箱根旧道の下りなんか特にそうだ...
あの日、標高1000mからの急な下り坂を1/3ほど下ったあたりだった。
速度的には50キロも出ていないと思うけど(後でログをみてみると46.9km/h)、目の前に一瞬だけ見えた、周りのアスファルトとは若干色合いの違う部分に、どういうわけだかハンドルを切って交わす間もなく前輪が吸い込まれていった。
多分、視力低下による判断の遅れか、比較的ゆっくり下っていたので、ほんの少し気が抜けていただけだろうと今も思う。
そのギャップを通過した、と言うよりそこに前輪が落ちた瞬間、強いショックでいつものようにブレーキに掛けた指がブレーキレバーを一瞬引いてしまったようだ。
と同時に後輪が上に持ち上がり、重心が前輪より前方へと一気に変化していくのがわかった。
速度は衰えないまま僕の体は自転車ごと空中を舞った。
鉄棒で背面車輪はやったこと無いけど、地面と身体の位置関係は多分そんな感じなんだろう。
普通なら自分の身体をかばうために咄嗟に腕が路面へと向かうだろうに、両手の平は無傷で両手の甲に少しばかりの擦り傷が残っている程度だった。
割と大きな傷でも、打ち付けたと思われる右肩に皮膚組織までには達していない比較的浅い擦り傷だけだった。
50キロ近い速度が出ていたのにこの程度の擦過傷で済んだなんて...
要するに、路面を滑走せずに、アスファルト面に直接叩きつけられた感じで、ほとんどの衝撃を一瞬で身体が吸収てしまったのだろう。
咄嗟に身体を捻ったのか、顔面から少し逸れて地面に叩きつけられたのは何となく覚えている。
地面に落ちてからは痛みを感じる前に生ぬるい血液が頬を伝って地面にポタポタ落ちるのが見えた。
呼吸することが出来なかった。
自分の身体をどう置けば一番楽なのか、動かそうにも身体が自由にならない。
おまけに登りで酷使した脚をいきなり止めてしまったために両足が攣るという追い打ちまで...
上半身の痛みと脚攣りよる強烈な痛みにうめき声を発しながら身体を何度もくねらせていた。
まるでアスファルトに広がる真っ赤な海の中で泳ぐかのように...
そんな姿に同行していた仲間はかなり動揺していたはず。
痛みは上半身と両足の痙攣のみで、そうとう深いであろう右瞼の傷は出血の割には全く痛みを感じなかった。
しかし、顔の傷がどの程度の深さなのかを確かめようと手で傷口に触れてみる勇気などはなかった。
周りの様子を見れば容易に想像がつく...
ただ幸いにしてこの時点で手足への痺れはなかったし、痛みからして肋骨と鎖骨が折れている程度だと思えたので、そこからは冷静でいられた。
仲間が僕を呼ぶ声も、脇を通り過ぎる車やバイクからの気遣いの声もハッキリ聞こえた。
横たわって苦しんでいる僕の傍では仲間が冷静な判断のもと、それぞれの役割を果たしてくれていた。
僕はただ横たわったまま、呼吸しやすい体勢を探して救急車の到着を待つだけだった。
何台の車が通り過ぎただろうか...凄く長い時間を過ごした気がする。
救急車が到着し、ストレッチャーに載せるために身体を無理やり仰向けにされて苦痛に喘いだあの瞬間から、ストレッチャーに全身をしっかりと固定され、急な下りとカーブによる揺れと振動に耐え、ヘリが待機している場所へ到着するまで救急隊員からの質問に答えている間、そしてドクターヘリへ移されて病院へ向かうまでの僅かな時間、ずっと同じ事に思いを巡らせていたような気がする。
「もうこれで自転車は止めにするかな...」
救急処置室で血まみれのジャージ、レーパン、ウォーマー類にハサミが入れられ、そのままCT、MRI、レントゲンとその度に数人の医師に身体を持ち上げられては、強烈な痛みに何度もうめき声を上げた。
最後に、ドクターヘリに同乗していた女性の救急救命医が顔を縫合をしてくれた。
脇にいた助手の医師が「自分でも上手に縫えたと思ってるでしょう〜」と女性医師をからかう。
数名の医師が分担して手と脚の傷の手当を進めているのが何となくわかった。
今になって思い起こしてみても、その後の記憶が少し曖昧のようだ。
一晩ERかEICUで過ごし、翌日の朝にはEHCUの病室に移された...と思う。
身体のあちこちに心拍、血圧、血中酸素量等々を監視するための管や線が伸びていた。
家族が見舞いに来てくれたが、仰向けに寝せられたまま頭は固定され枕も使えなかったので、僕の目にはず〜と変な模様の天井しか見えていなかった。
家族と何か話している間に突然貧血に襲われた。
と同時にに意識が薄らいで、一瞬だと思うけど、全身の痛みも感じることのない、別の世界にいたような気がした。
すごく気持ちいい、一瞬だった。
どうもその時僕は気を失って白目を向いていたらしい...
そして怪我の診断は...
* 高エネルギー外傷
* 第7頚椎骨折
* 右鎖骨骨折(2箇所)
* 右第1肋骨から第5肋骨まで骨折
* 右肩甲骨骨折
* 肺挫傷
* 血胸
* 気胸
* 上眼瞼挫創
* 肩、両足に数カ所の擦過傷
とま〜随分派手にやってしまったものだw
入院して3日目の夜になって一般病棟に移り、介護ベットの背もたれに角度をつけることが許された。
しかし、ほんの少し身体の角度が変わっただけで激痛が上半身に走って呼吸すら出来やしない...
どう身体を動かせば痛みが出ないのか焦り悩んでしまうくらいに。
これが土曜日元気に楽しく走っていた自分の身体なのかと愕然とした。
ほんの一瞬の判断の遅れで一生を台無しにするところだったが、幸いにどうってこと無い骨が7本ばかりと大事な大事な頚椎の一部折れた以外は全身血まみれになる程度の裂創が一つとほんのすこしの擦過傷と肺挫傷ぐらいで済んだ。
単独走だったならば、場所によっては下手すれば誰にも発見されないまま苦しみ続けるとになったかもしれないが、今回は同行者がいてくれたお陰ですぐに適切な処置を受けることができた。ご一緒した方には多大な迷惑をかける結果になってしまったが...
当然職場や家族にも...
今回、重症ながらも間一髪で重篤な症状にならずにすんだが、これは単についていただけの事。
毎日レントゲンを撮るために病室から1階まで何度ベッドごと連れて行かれたかわかからない。
レントゲン室では、あの日、僕が全身血まみれになってドクターヘリで搬送される様子を見ていたという一人の女性アシスタント(?)の方が僕にそっと声をかけてくれた。
「そんなひどい怪我をして、また自転車に乗りたいと思いますか?」
「・・・・多分乗るんでしょうね〜」と一瞬間を開けながらも答えていた。
「そうだよね...」と笑ってくれた...
何故みんな同じ質問をするんだろう。
仮にランニングしていて躓いて、脚を骨折した所で「またランニングしようと思う?」なんて聞くだろうか?
ましてや、車を運転していて自爆事故を起こして生死の境を迷ったとしても「また車運転しますか?」なんて聞かれることはないだろう。
常に危険が身近にあることは理解しているが、でもそれが特別危険な行為であるとは思ってはいない。
自分がいくら注意していたところでどうにもならないことだってある。
ただ、今回は明らかに僕自身の気の緩みが直接の原因だったのだと思う。
それに、事故を起こしたことで多くの方に心配や迷惑をかけてしまったことも事実だ...
時間の経過とともに身体が徐々に自分の身体に思えるようになってくる。
血液で固められたバサバサの髪に触れる度に、黒く乾いた血液が粉になってベッドのシーツを汚す。
4日目になって身体がある程度動くようになってから、ようやく血まみれの髪を流してもらった。
ほんの少しだけど人間らしくなったような気になれた。
この頃から沢山の方がお見舞いに来てくれた。
病室では3度の食事と寝ること以外に決まった予定もなく、本を読んだり、仕事のメールをチェックしたりの毎日...
そんな生活にメリハリと活力を与えてくれる...
病院で出される食事はなかなか美味しい。
一日2000kcal以下の常食メニューだからということもあるけれど、脂は控えめだし、味だってそれほど薄くもない。
退院してからも月曜から木曜日はずっとこのメニューでもいいくらいだ。
ただ、僕のベッドの周りには誘惑が沢山あるw
一人で歩けるようになってからは地下1階のコンビニまで毎朝ブラックコーヒーを買いに降りるのが日課になった。
でも買って帰るのはコーヒーだけとは限らない。
退院して体重計に乗ったら増えていた...なんてことにもなりかねない。
あまり喜ばしいことではないが、40代最後の誕生日を一人病室で迎えてしまった。
そして、いつになく沢山の方からお祝いのメッセージを頂いた。
病院のスタッフのかたからもさりげないお祝いのお言葉が...


危うく見落とすところだった

ある程度身体も動くようになってきたし、ま〜比較的快適な入院生活なわけなのだが...
夜がやってくるのが毎日憂鬱だった。
しっかり眠れさえすれば別になんでもないことなのだが、夜ベッドを倒して仰向けになると折れた肋骨と肩甲骨が圧迫されて、10分とじっとしていられない。たとえ寝付けたとしても30分以内には痛みで目覚めて楽な体勢を探そうと動かなり身体を無理やりずらす。
痛み止めを飲む時間を調整して、ある程度の痛みは抑えられているのだが、制御できる痛みを超えてしまえばそれまでだ。
痛みから逃れようと姿勢を細かく調整してもすぐに限界がやってくる。
背を横に向けようとすると身体がねじれて骨が捩れるような痛みにどうにもならない。
夜中にベッドをリクライニングさせてガサゴソと音を立てるのも気が引けるので、時々起きてはラウンジのソファーでぼーっと時間が過ぎていくのを待つ。
夜が明けて、朝食が配られる頃になってから病室に戻る。
ま〜、明けない夜などないし...
食事を済ませてから痛み止めを飲み、窓のカーテンを引き寝不足解消に務める。
そんな時、事故の時に一緒に居合わせた仲間がお見舞いに貸してくれた「ヨガニードラ」のCDが心地より眠りを与えてくれた。
良質なリラクゼーションは回復への特効薬にもなりえる
12日目の夜になって痛みで目覚めることには変わらないが、ようやく1度に2時間以上の睡眠を得ることが出来た。
少しずつだけど、確実に怪我は回復に向かっている。
この日、ようやく鎖骨の手術の日程が決まった。
事故から2週間経っての手術だ。
執刀してくれるのは女性医師。
手術に際しての細かな説明も歯切れがよくってわかりやすい。
少々脅かされてしまったが...
手術前日、麻酔科に呼ばれて全身麻酔に関する説明と問診を受けた。
その中で、昨年末に体調を崩し、1月ごろに受けたCTで心臓と心膜の間に水が溜まっているとの所見が出て、その1か月後のエコーによる検査では異常は無かった事を伝えると、担当医が入院した当日の心電図を見て頭をかしげて...
「今までにホニャララと言う診断を受けたことありますか?」(なんて言われたかは失念w)
「今始めて聞来く言葉ですが...」
説明はそこで一旦中止となり、そのまま「時間もあるし念のためもう一度心電図を取りましょう...」という流れになった。
そういえば、ERに担ぎ込まれたあの日、頭が朦朧としている中、何度も何度も心電図を測り直していたっけ...
少し緊張気味に再度麻酔科へ...
結果心臓には特に異常なしというい事で、明日の夕方から手術を受けられそうです。
安心しました。
夕暮れ前、シャワーを浴びて病室に戻ると事務の方がなにやら包を届けてくれた...
香りの贈り物


そして香りの贈り物もまで頂いて...

それは心安らげる時間をすこしでも...というお気持ちからなのでしょう。
明日の手術を前に、今夜はこの香りの力を借りたいとおもいます。
ありがとう!
手術の当日、
入院するのが今回が初めてななんだから、全身麻酔を受けるのも当然初めて。
意識があるうちに羊を何匹かぞれるかな...などと馬鹿げた事を考えていたが、
考える間もないくらいに一瞬で意識がなくなったような気がする。
誰かの呼びかけに眼をけると、多分そこはまだ手術室だったんじゃないかな〜
うつろな頭とボヤけた視界に、まるで変な夢で魘されているかのような嫌な気分だった。
でもその次の記憶は病室のベッドの上で体中をいじくりまわされていて、意識がはっきりするに連れ、術後の強烈な痛みに思わず声を発したのが自分でもわかった。
またもや薄れかけた意識の先には家族の顔がぼんやりと...
そしてまた長く辛い恐怖の一夜が始まった。
6時間毎にしか使えない痛み止めの点滴も2時間でその効果も痛みに負ける。
2本目の痛み止めは3時間後、3本目は5時間後まで我慢した。
夜が明けて、一日ぶりの朝食は貧血で殆ど食べれなかったが、その後は痛み止めが効いたのか短い時間だけど何度か眠ることが出来た。
お昼が近づこころには点滴以外の管は全て外されて、ふらつきながらも少しだけ歩くこともできた。
身体を動かすとさっきまで重かった全身が急に回復したかのように楽になっていった。
この日も何人かの自転車仲間がお見舞いに来てくれて、術後の痛みもいつの間にか忘れていた。
手術は事前の説明にあったように、真中でポッキリ折れている以外にも腕側の先端が粉砕骨折していた。
2枚のプレートとワイヤーを使って特殊な手法で施術したそうだが予定より1時間以上余分にかかってしまったそうだ。


2枚のプレートに10数本のネジとワイヤー...切除が憂鬱だなw

これからリハビリを行い、また自転車に乗ることが出来たなら、これまで以上に慎重な運転を心がけようと当然の如く思った。
喉元過ぎれば・・・にならないように。
術後は比較的早く退院することができた。
退院の手続きを終えて病院の正面元から外へ出たその日、長いこと忘れていた穏やかな陽射しと冷たい風が身体にあたって気持ちよかった。
事故から退院まで、お世話してくれた皆様、ありがとうございました。
自転車の上から見慣れた景色を迎えの車の後部座席に深く座りしみじみと眺める...
帰宅して、散歩がてら近くのスーパーまで買い物に歩いたが、思った以上に疲れてしまった。
退院したからってまだまだ動きまわるには程遠いいようだ...
夕食には大好きなパエリアにしてもらった。


そして、お見舞いに頂いたスパークリングワインをほんの少しだけ飲んだからなのか、それとも自宅へ戻ったことで安心したのか、
寝汗は凄かったが、これまでにないくらいにぐっすりと眠れたようだ。
事故当日のままビニール袋に入れてあった血に染まって切り刻まれたジャージと、
割れていまでも血でベットリ濡れているヘルメットを自分の目で初めて見てぞっとした。
頭から地面に叩きつけられたのが一目瞭然だ。
えぐられたように瞼右上に残った深く長い傷は、思った通りヘルメット内部の硬質プラスチックによるものだったが、
だが、そのヘルメットを被っていたからこそこの程度の傷で済んだことには間違いない。


あの日、救急車からドクターヘリに移るときに一瞬だけ見えた鮮やかな青空が、今でも目の奥に焼き付いている...
そしてそれが早くも待ち遠しい...
次はサドルの上からだ!